昨年10月7日は、藤枝の大祭り初めて見ました。
東海道沿いの成田山にお参りして、少し街道を西に進むと、岡出山の屋台がこちらへやってきまました。車輪は木製です。
屋台は、昼休みのために、詰め所の前に幅寄せしようとしています。
幅寄せは、なかなか勇ましいものです。岸和田のだんじりと同じように、屋台の屋根にも人が乗り、屋台の前には大きな舵が付いています。舵は、若い衆が、気合を入れて左右に何度も切って幅寄せします。その間にも、屋台の中ではお囃子が続きます。
更に街道を進むと、下伝馬の屋台に追いつきました。こちらの屋台は、神社まで行くようです。安全のために、巡行中は役員の横や後ろを歩いて、少し離れた所で見物します。
屋台は動きっぱなしではなく、他の地区のものを含めて、詰め所前では何度か停まります。他の地区とは競わずに、互いに祭りを祝います。ここでは掛け声の人が、寄付をした人と組織の名前も読み上げます。その後は、踊りの披露が行われます。
下伝馬の屋台も追い越して、街道を左に曲がると、祭りの神様が鎮座する、飽波神社が見えてきます。
鳥居の前に着くと、先程格納庫を見てきた、左車の屋台がやって来ました。屋台は、高さ制限のために、鳥居の手前で停止します。神社の社殿では、神主さんがマイクで誘導しています。神主さんの後には、何人かの役員が続き、お祓いが始まります。
お祓いの次は、踊りの奉納です。町では「披露」、神様の前では「奉納」です。
私は、踊りの準備中に社務所に行き、神様が描かれた御朱印を賜りました。
1曲目が終わり、2曲目は屋台から舞台が引き出されて、5歳の女の子が、お師匠さんに足元を支えられながら、「羽根の禿」を踊ります。その動きには、大変立派なものです。まるで、お師匠さんが人形を操っているようにも見えます。
踊り終わると、境内が大歓声に包まれました。最後は、少し年上の子が、「越後獅子」を踊ります。
街道へ戻る手前では、下伝馬の屋台が交差点を直角に曲がっています。これもまた、祭りの見所といえましょう。下伝馬は、無事に曲がると商工会議所の前で、神社へ入る時間まで待機します。
次は、白子の屋台がやってきました。地区の由来は、伊勢の白子です。角を曲がる前には、屋台が停止して、踊りの披露が始まります。
屋台の後ろにはどの地区でも、別の役員が給水用の荷車を引いています。
小まめな水分補給や、役員がスマホで連絡を取り合っている様子を見ると、祭りのスタイルは時代と共に変わるものだと思いました。