美術館と博物館等の散歩記録

美術館、博物館、寺社の宝物館、特別拝観、各地の特別公開を綴ります。

2019年7月14日、『福島復興祈念展 興福寺と会津 徳一がつないだ西と東』

7月14日は、若松の県立博物館にて開催されていた、企画展『福島復興祈念展 興福寺会津 徳一がつないだ西と東』を鑑賞してきました。

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県立博物館


こちら展示は、以前から楽しみにしており、開催前に前売券も買ってしまいました。昨年、武家屋敷の美術館を訪れた時以来、私は会津の仏様に強く惹かれてきました。

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徳一(左)と薬師如来(右)の複製



博物館のロビーには、写真撮影用に、2体の複製品の木像が並んでいました。

向かって右手は、勝常寺の御本尊様の薬師如来、左手は、勝常寺を開いたとされる、徳一です。
今回の企画展も、平安初期に興福寺から会津へやって来た、徳一なしには語れません。

 

私は、徳一や彼が開いた会津の寺については、五木寛之『百寺巡礼 第七巻 東北』の本を読んで初めて知りました

 

会津の人達の間には、徳一は広く知られた人物であるようで、地元のお客さんたちは、木像を見るなり、「あぁ、徳一だ」と声を出していました。時を超えて慕われるほどに、徳一が会津の文化と社会に与えた影響は大きいのでしょう。

 

展示室に入るとすぐに、展覧会のために興福寺から出張してきた、それぞれ国宝の多聞天広目天が、足元に、悪戯が空きそうな感じの邪鬼を踏みつけながら、私達来館者を睨んでいます。
両名とは対照的に、やはり興福寺からやって来た、重要文化財地蔵菩薩は、大変穏やかな表情でした。

 

隣の部屋では、会津の寺に所蔵されている木像が待ち受けています。

勝常寺増長天持国天は、いずれも重要文化財ですが、手先が欠けてしまっています。
先ほどの多聞天広目天と比べると、表情は同じように厳しく見えますが、肌はかなり荒れています。その様子は、会津の厳しい自然環境に耐えてきた証しとも見られました。

 

同じ展示室には、本物の徳一像も座っていました。

伝教大師弘法大師と論争を繰り広げた人物だけあって、徳一さんは、信念が強そうで知的な顔立ちです。
それにもかかわらず、近寄り難さはなく、会津のことを気にかけて、常に温かい眼差しで見守っているようにも見られました。

 

今回の展示を通じて、私は会津の寺や仏様に、ますます興味を持ちました。

 

鑑賞日:2019年7月14日(日)、曇り
観賞場所:福島県立博物館福島県会津若松市
鑑賞料金:1000円(前売券購入)