昨年11月17日は、新潟にある、豪農の館北方文化博物館を訪れました。
博物館は、江戸中期から昭和まで続いてきた、豪農の屋敷です。
訪れる前から私が関心を持っていたことは、「北方文化博物館」という名称が、どのような過程で付いたのかということでした。
博物館の歴史については、館内の主屋棟にて知ることができました。
7代目当主の時に終戦を迎えた家は、農地改革を機に、屋敷全体を財団、博物館へと転換しました。
また、8代目当主は、日本の学芸員資格の第1期生として、長く館長を務めたとのことでした。
1階の座敷には、7代目が屋敷を博物館へ転換するまでの経緯が展示されていました。
当地へやってきた進駐軍の中尉と7代目当主が、アメリカへ留学していた時の先輩に当たることが縁で、接収から保存へと一転したこと、地元有志も後押しをしたことが分かりました。
一連の経緯は、国際交流史、文化史の観点から、1本の論文、否、本が1冊書けるのではないかと思われるくらいに、内容の深いものでした。
見学日:2019年11月17日(日)
場所:新潟市江南区
入館料:300円
北方文化博物館の庭園、離れの鑑賞記録は、下記のブログにて綴りました。
http://voyage-th.jugem.jp/?eid=4625